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ジャズ ミュージシャン ( 小曽根真 )

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インタビュー:by @jazz 山本聖子 2008年6月12日


相手の音を聴くことから始まる、
音楽の方程式!
ソロからオーケストレーションまでを
音のパレットで描くピアニスト!

僕はアンサンブルには方程式があって、ソロでもトリオでもオーケストラでも、いわゆる1+1+1+1+1がいくら増えても、イコール1にならなくちゃと思うんです。つまり全体で1つの音楽を作るということ。もちろんぶつかる部分があっても面白いと思うし、それがあることでケミストリーが起こって、次のフレーズに発展していくってことももちろんある。その中で、もし自分の中に音楽が聞こえてこなかったら弾かなければいい。リズムセクションを信用して待っていればいい。自分が弾かなくたってベースもドラムもいるし、音楽は進行する。全体の音楽としては、ちゃんと1になっているんですよ。

(小曽根真)



<理論とセッションに溢れたバークリーでの日々>

●バークリーに留学される前は、どんなレッスンをされていたんですか?

その頃の僕は、耳だけで音楽をやっていたという感じでしたね。5歳の時にバイエルをやってクラシックが嫌いになっている人間ですから、全くちゃんとしたレッスンというものを受けていなかったんですね。12歳の時まで僕はオルガンを弾いてましたから。その頃にオスカー・ピーターソンを聴いて、ようやく1年位レッスンを受けたわけですよ。

●オスカー・ピーターソンのフレーズコピーなんかもされたんですか?

父に言わせると、僕は競馬の馬みたいだったらしい(笑)。オスカー・ピーターソンのレコードが50枚くらいあって、全部耳コピーせんばかりの勢いでした。コードの響きを覚えて他の曲を弾いていたりすると、あ、この部分に使えちゃうなあって感じで出てくるんですね。まあ、借り物ですけど。僕の場合はピーターソン以外に興味はなくって、とにかくピーターソンみたいに弾ければいいと。そんな風に思ってました。

●ビックバンドでも演奏されていましたよね?

そうでしたね。僕は中学生の頃から北野タダオさんという方に師事していて。でも最初僕は北野先生に理論を習いに行ったんですよ。そした先生は理論より実践の方がいいと思ったらしくて、自分のビックバンドに僕を連れて行って弾かせるということを始めたんですよ。その頃からミニコンサートなんかをやるときには「マー坊、おいで」って言われて行って、いろんなアレンジを弾いたりとか。そこで僕は譜面が読めなかったので、比較的シンプルな曲だったと思うんだけど、演奏しているうちにだんだんどこをやってるかわかんなくなっちゃったりして(笑)。結局、ちゃんと覚えていかなければしょうがなくなっちゃう。そんなことがありながらも、ビックバンドが好きになって行ったので、とにかくビックバンドのアレンジができるようになりたいと思って、バークリーに行ったんですよ。

●バークリーの良さというのは、どんなところにあると思われますか?

そうだね、大きく分けて3つあると思うんだけど。1つ目はしっかりとカリキュラム組んで、難しいといわれているジャズ理論をあれだけシステマティックに教えてること。そもそも、ジャズという音楽を教えるのは非常に難しいことなんですよ。例えば入学当時の僕なんかは、音楽理論も全くわからない状態だったんですね。ジャズの音は知っていたんだけど、それを説明するためのいろんな用語がわからなかった。自分の体の中で既に知っている響きのことを「あ、これがこういう名前なんだ」とか、「ここからここへ動くモーションのことをこう言うんだ」と、呼び方を後から覚えて行った。そんな感じだったんです。2つ目は、それを教えている先生が、現役のミュージシャンであるということ。
時々クラスに行くと「先生は今ツアーに出ています」なんて事があってね。これって学校的に言うと賛否両論あるのかもしれないけれども、音楽的に生徒側から言うと、素晴らしくいいことだと思うんだよね。3つ目は、普通なら学校を出てからわかるプロの現場っていうのが、学校にいながら体験できること。バークリーは生徒が世界中から集まってきてクラス分けされていくんですけれど、実技の部分では点数なんて関係ないんですよ。いたるところで生徒同士のセッションが始まっていく。バークリーでアンサンブルやっている時は、ただ上手いだけじゃダメだし、譜面が読めるだけでもダメ。だからといって耳がいいだけでも「じゃ、この曲やろう」って言って譜面が読めないって言うんじゃダメだし。

●素晴らしい環境で切磋琢磨できたってことですね。

そうだね。バークリーでは基本的な理論、アレンジ方法や作曲法も学ぶでしょうが、実技になってくるとその人の個性と、後は技術。そしてもう一つすごく大切なのは人格。上手いヤツだけど、あいつは性格が悪いから呼ぶのはやめようとか、現実世界でもそういうのは結構いっぱいあるわけですよ。バークリーというのはそういう実践部分も兼ね備えた学校だったって思いますね。

●当時、どんな方たちが生徒としていたんですか?

バークリーは1980年っていうのが「ゴールデン・エイジ・オブ・バークリー」って言われていて、その時に僕はバークリーに行っていてね。スミディ・スミス、テリ・リン・キャリントン、ウォルス・ルーニー、ドナルド・ハリソン、ケビン・ユーバンクス、ジェフ・テイン・ワッツ。ストレートアヘッドのジャズで今、ニューヨーク第一線でやっている人たちはほとんどですよね。そういう人たちが当時、たまたまバークリーに集まったんです。彼らと知り合ってからのバークリーでのセッションは、すさまじかった。アンサンブルルームって予約が2時間単位でしかとれなかったんですが、管楽器が6人くらい来ると、1曲60分くらいになっちゃう(笑)。延々とソロを吹くから、リズムセクションは伴奏だけでもうヘトヘトになっちゃって、自分の所にソロが回ってくると「もういいよ」って言ったりして。まあそのくらいにジャムセッションがすさまじい。その時みんなまだ19歳とか20歳とかだったけど、めちゃくちゃ上手かったですね。そのセッションの中で「今、何やったの?」みたいに聞いたりして、その中で教わったって感じですよね。譜面にして書いてくれたりもして。リズムの遊びもやったりして。ジャズの大切なことって、やっぱり上手い人とやることですよね。アンサンブルをやる上で先生が現役のミュージシャンだったというバークリーの環境は、最高だったと思いますよ。

●理論とか、アレンジの授業とかはいかがでしたか?

僕はそもそもビックバンドのアレンジをしたいと思っていたんだけど、最初は2管のアレンジ、3管、6管、そしてビックバンドという風にだんだんと膨らんでいくんですが。やっぱり僕が最初に書いたビックバンドの譜面がバンドで鳴ったときというのは、ホントに嬉しかったですね。でもまた、怖くもあるんですよ。実際に出てくる音は違うっていうのもあるし。アレンジは聞いている側にとって良い曲であるというのは第一条件だけど、その次に同じくらい重要なのが演奏する側にとってもやりやすい曲であること。例えばピアニストとかギタリストの書いたビックバンドの譜面というのは、外で聴いている分には全然いいんですが、吹いている人間にとってはものすごく吹きづらいものが多いんでね。つまり、楽器の特性がよくわかっていないってことですよね。そういう技術的なことがあるのと、例えばサックス5本でのソリを書いたときに、メロディーはいいんですよ。ジャズ屋はみんなこう縦にボイシングをつじつま合わせていく。そうすると2、3、4、5番という支え役のメロディーを横に吹いてみると、非常に不自然なメロディーになるわけですよ。基本的にみんな自然に動かしてあげないと。

●そういうことを教えてくれる授業があるんですか?

去年お亡くなりになってしまったんだけど、ハーブ・ポメロイって先生の「ライン・ライティング」っていうクラスがあったんですが、これはみんなシステマティックにマスマティカルに5本のサックスのソリを書けるというテクニックを教えてくれるんですね。ただこれを使って書くと、みんな同じ音になるわけですよ。あの秋吉敏子さんなんかも、それをやられたので、やはり秋吉サウンドっていうのは、まあ全然違いますけど、その原型にはバークリーのライン・ライティングがあると思う。ものすごく画期的ではあるんですけど、その通りに書くとどうしてもみんな似た音がするんですね。ただし、それをやるとサックスの人はすごく吹きやすいというし。外音を聴くと相当に難しいけど、内声はすごくメロディックであり、結局は全部のラインがメロディックになるって感じ。もしそれがないと、メロディやっている人だけがメロディックで、それ以外はみんなつじつま合わせの音になってしまう。それってピアニストだけをやっていたらわからないような部分なんですよね。それが勉強できたって言うことも、バークリーに行って大きかったことですよね。

<カーネギーホールで演奏とレコードデビュー>

●カーネギーホールではどんな演奏をされましたか?

あの時はエロール・ガーナーみたいなスイングスタイルの曲をやったり、「ラ・フィエスタ」みたいな派手な曲を最後にやったり。まだ当時は、自分のオリジナルって2、3曲しかなかった。バカテクみたいな演奏は何曲かあってもいいけど、可能な限り音楽的な演奏をやろうと思ってました。結果的にはジャズピアノ・ショーケースみたいな感じだったかなあと思うんですよね。その当時のニューヨーク・タイムスに書かれたのは「フルパワー・フロム・オゾネ」ていうタイトルで「彼が自分のパワーとテクニックをコントロールすることを覚えたら、すごいミュージシャンになるだろう」って書いてあった。いろんなスタイルができるってこととピアノがある程度弾けるってことは、そこで認めてもらっていたんだけど、まだやはり音楽的ではないということだったんですね。

●当時はおいくつだったんですか?

23歳かな。今だから思うんですけど、その体験っていうのも結局、必要な過程だったんだなあって。今自分がやりたいと思うことを集中的にやる。仮にそれはテクニック的なことで、エンタテインメントすぎるって僕の場合は言われたんだけれども、その地点を通過しないと得られないものってあるんですよ。やっぱりジャズの基本は他人から盗むことだからね。それぞれの人が「自分はジャズミュージシャンとして何歳か」っていうことを考えながらやらなくてはいけない。絶対に他人とは比較するなってことですよ。そしてそれぞれのステップを飛ばすことはできない。例えばとても難しい曲をコピーしてアドリブを完全に弾けるようになったとしても、じゃあ普通の循環の曲のアドリブができるかというと、できない。ブルースを弾けるかっていうと、弾けない。自分の好きなジャンルは色々にあると思うんですけど、でもがむしゃらに何でも吸収しなくてはならない時ってのは、自分のスタイルだの何だのって、あまり頭でっかちになって考えちゃうと弾けなくなっちゃうし。とくにジャズの場合は、絶対に他人と比較しないで、自分がやりたいとういうエネルギーを音楽にぶつけるという、そっちの作業を進めていきながら、最低10年くらいは弾いていないとね。自分のスタイルなんて出てこないですよ。

●10年ですか。結構な年月ですよね。

でも言葉だってそうじゃないですか。人間として自分の言葉でちゃんと話せるようになるのだって、10歳を過ぎた頃からじゃないですか?感情はとりあえず表現できるけど、ちょっと深いところを言うなんて、やっぱり中学か高校生くらいからでしょう?音楽も同じで、ボキャブラリをいっぱい盗んでくるわけじゃないですか。コピーして弾くでしょう?それを全部自分の細胞レベルに落とし込んで、ため込んで。それがある程度自分の言葉でしゃべれるようになるには、相当数のボキャブラリーがたまっていないと「えっと、ここで何ていうんだっけ?」ってつまづいちゃう。まあ、最終ゴールはみんなそうなんですけれども、途中の段階では、自分のスタイルってものにあんまり難しいことを言う周囲の意見は半分くらい頂くって感じでね。

●最初のレコード契約をされたのも、その頃でしたよね。

そうだね。契約のきっかけっていうのも、僕が派手な演奏をしてたからですよ。学校のトロンボーンの先生とフィル・ウィルソンっていう先生とやったコンサートっていうのがあって。学校は必ずアーカイブとして録音を残していたわけですが、その録音があまりにも良かったんで、バークリーから自費出版してもいいと許可を貰って、レコードを作ったんですよ。それを誰だか知らないけれど、ジョン・ハモンドに送った人がいて。ジョン・ハモンドっていうのは、カウント・ベイシーとかビリー・ホリデイを見つけた大プロデューサーで、その人が聞いて、すぐにCBSコロンビアのドクター・バトラーっていうプロデューサーに電話をして「マコト・オゾネっていうのがいて、卒業は来年らしいから即契約しろ」って言って。で、デビューが決まったんです。

●どんなレコードだったんですか?

「ジャイアント・ステップ」をストライドピアノで弾いているわ、デキシーランドは弾いているわ、もう訳けわかんない(笑)。まあ楽しいですけれど。それはやっぱり、ものすごい勢いがあったんですよね。その演奏を聴いてゲーリーは「音楽的じゃない」って言ったんだけど。もちろん今僕はそれを聴いて、まあちゃんと弾いているところはいいんですけど、いきなりウワ〜っと弾きだしちゃったりするから、それは今では恥ずかしかったりします(笑)。
それを振り返って聴いてみると、今はああいう演奏はできないなあって。そうとう弾いていますし、弾くことに躊躇がない!だからいいんですよね。若いから難しいこと考えないし。とにかく弾くのが楽しくって。そういう時代だったから、音にものすごいエネルギーがある。楽しいエネルギーがいっぱい!今もし僕がコピーして弾いたとしても、あの説得力はないでしょうね。でもあれが僕をデビューに結び付けてくれたので。だから結局弾けるってことは、とっても大切。まあ、あの頃は弾きまくってたし、それしかできなかった。そして、それに生きがい感じて弾いていたし(笑)。

<ゲーリー・バートンとの出会いと音楽への影響>

●ゲーリー・バートン氏とはどのように出会われたのですか?

僕がバークリーを卒業する一年前の卒業コンサートで、一緒になったんです。彼はビックバンドを学生とやっていて、僕はベースとデュオをやったんです。その頃の僕は、世界中で一番早く弾くピアニストになりたかった。音楽性なんてどうでもいい。僕らはそんな演奏をして、ゲーリーはそれを聴いたんですよね。 終わってから舞台の袖で「Sounds good」って言われて「Thanks」って答えて。それでそのときは終わったんですよ。後でゲーリーに聞いたら、テクニックもセンスも音楽的な知識もあるのに、それをどう使ったらいいかわからないかわいそうな子だと思ったらしいんです(笑)。あれだとまるでShowだと。
その1〜2週間後に学長さん宅でパーティーがあって。僕はカクテルピアノを弾きに行ったんです。Mistyとかみんなが知っているバラードを弾いていたんですよ。メロディックにちゃんと弾くということをしていた。誰かが後ろに立っていて、休憩時間になって振り返ると、それはゲーリーだった。「なんだおまえ、ちゃんとピアノ弾けるじゃないか?」って言われて。まるで「ちゃんと音楽できるんじゃないか」みたいに。で、「明日、私のオフィスに来るように」って言われて。翌日行ったら、とにかく1曲やろうってことになって、「Stella by starlight」を弾いたんです。メロディーを弾いたら、「Go ahead」って言うから先にソロとって。そしてゲーリーにソロを渡したら、8小節で「Ok, stop!」って止められたんです。「この8小節、オレが何をやったかわかっているか?」って聞いてくるんです。覚えていないんですよね、これが。「例えば3連音符をやったとか、モチーフとか、どういう風にオレのソロが始まった?」って言われても、全然覚えていないんですよ。
つまり、自分がどういうコードを弾くか、どういうボイシングで弾くかっていうことばかり考えていて、ソリストのことを全然聴いていなかった。伴奏って言うのは一体何なのか??その瞬間、もう目からウロコですよ。結局その後、僕はゲーリーのバンドに入るわけなんですが。

●そのバンドではいかがでしたか?

入って何度仕事やコンサートで「弾くな!」って言われたことか(笑)。いや、そんなに弾きすぎてもいなかったんですよ。ソロもちゃんと聴いていたし。ゲーリーに聞かれると「こういうソロで始まって、こういうフレーズがあった」ってちゃんと答えられたんです。だけど「じゃあお前は、そのソロにどうやって応えた?」って。僕はその応え方がわからなかったんですよね。「どうやったら応え方がわかるんですか?」ってゲーリーに聞いたら「Keep wishing」って言うんですよ。願い続けたら、いつか絶対できるようになるって。
つまりソリストのフレーズをよく聴き続けていればアゲインストにしたのか、ステイしてほしいのか、サポートして欲しいのかがわかると。つまり、音の裏の気持ちをわかるようにするって言うこと。ここまでには相当、相手の音色とかフレーズ前のくだりなんかもわかっていないと。それからソリストだけじゃなくって、ベースやドラムが何をやっているのか、それも聴くように。つまり音楽の全体像が見えていないといけないってことなんです。

●でも音がぶつかっちゃうことってないですか?

それがぶつかったりしないように、瞬間的に音やリズムを作るようにしなきゃならないって事なんです。ゲーリー・バートンに教わった一番大きなことって、音楽的に演奏するってことなんだなあって思いますね。僕の場合は、魅せる演奏って言うのが95%くらいだった。これって子供の頃から人前で弾いてきた人間のマイナス点って感じかなあ。まあそれは、ステージの上に立つ人間には必要な要素ではあるんだけれども。でも自分のことばっかりってプレーヤーも問題あると思うし、これをやったらお客は喜ぶっていうことばかりになってしまうと、「じゃあ、おまえは何を言いたいの?」ってことになる。それと手に弾かせるなってこと。テクニックがある人間ほど、心が空になっていく。とにかく知っているフレーズをバーっと並べて弾いていくこと。意味のない言葉をとにかくしゃべられても一体あなたは何が言いたいのかっていうのと、おんなじですよね。責任を持って自分の音を弾いていくっていうことですね。

●みんながあおるタイプのミュージシャンだったりすると、大変ですよね?

そうですね。みんなが上手いミュージシャンだったりすると、それが起こるんですよ。だけどそれを超越した人たちだと、また違ってくるんですよ。ロイ・ヘインズとやったときも僕の左手のバッキングに全てスネアのスナップが来るから。その時には気づかなくても、後で録音のCDを聴いてみると、やっぱり凄いんだよなあ〜。僕が何をやっても全部わかっている。チック・コリアとピアノデュオをやったときも、チックは僕がどんなに奇抜な音を弾こうとも、そこから新しい世界へヒューって持って行っちゃうから、あの人のボキャブラリはどれだけ凄いかっていうのを見せ付けられたというか。素晴らしいベーシストもそうですよね。僕が一つのフレーズをやったら、そのフレーズの上にさらに乗っけられるフレーズを弾いてくる。さらに+αをつけ加えて音楽が発展していくんですよ。

<オーケストラとの共演について>

●最近オーケストラと共演することについて、どのように感じられていますか?

最初はとにかく大緊張から始まりまして。ましてや弾く曲がモーツァルトやベートーベンとかってなりますから。オーケストラの何よりも素敵なことって、管楽器だけのビックバンドより、音のパレットの色の数が相当ありますよね。例えば同じメロディーだったとしても、トランペットかフルートか、トロンボーン、サックスくらいなんですが、オーケストラだとオーボエで吹くとか。弦楽器というものが入ってくると、相当カラーが豊かになっていきますから。それはもう、すごく良い勉強をさせていただいていますね。ジャズミュージシャンとして成長するのには、上手い人と演奏することって言いましたが、作曲家アレンジャーとして大切なのは、実際のオーケストラの音を聴いて作っていけるっていうこと。
僕はオーケストラとの共演やコンチェルトの場合、必ずスコアを買ってきてオーケストラパートの打ち込みをするんですよ。最初は自分の練習用にだったんですが、それをやることでだんだん、楽器の特徴がわかってくるんですよね。4年前に「もがみ」というピアノコンチェルトを書いて、山形でそれも弾き振りでやったんですよ。そのときは打ち込みをやっていたのがとても役に立ちました。それも僕はジャズと一緒なんですよね。
例えばガーシュウィンの曲も、弦の響きでこんな音があるのかとか。バーンスタインの曲をやったときも不協和音をすごくうまく使っている音楽だったから、あまりジャズでは出てこないようなハーモニーが出てくるんですけど。そこで吹いているフルートに、フレンチホルンを足してみようかとか。ジャズの場合って、和音で音を作っていくのだけれど、オーケストラはダブリングすることでカラーが出てくる。ビオラとフレンチホルンが同じ音でメロディを吹いているから、そこにパーカッションを入れるとか。それによって全然違ってきますよね。オーケストレーションというのは実際に自分が演奏したり、パート譜を書いてみたりするのは大変だけど、音や楽器のキャラクターは勉強していて楽しいですよ。

<お忙しいところ、ありがとうございました>



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