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日野 JINO 賢二 ベーシスト

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インタビュー:by @jazz 吉川明子


幅広いジャンルで世界的に活躍するベーシストが語る、ジャズの魅力!

ジャズができれば自然に耳がよくなります。自分が弾きながら、他の演奏をよく聴く必要があるからね。他の演奏に反応できるようになると、音楽がもっともっと楽しくなる。そういう会話的な要素は、ジャズが一番強いと思います。

(日野 JINO 賢二)



〜音楽との出会い〜

● 幼少時から音楽に触れる環境には恵まれていたと思いますが・・・

僕は7歳の時に一家でアメリカに渡りました。小学2年生に上がってすぐ。アメリカの入学式は9月だから3ヶ月間、学校がなかったんです。それでトランペットを渡されて、無理やり練習をさせられました。家にはトコおじさん(日野元彦)のドラムセットがありました。親父(日野皓正)は作曲もするから、もちろんピアノもありましたね。

●さまざまな楽器に自然と触れられる環境だったのですね。音楽を魅力的に感じ始めたのはいつ頃ですか。

トランペットの練習は最初、とてもつまらなかったです。だけど中学でブラスバンド部に入ってからは面白くなりました。

それにトランペットで「HAPPY BIRTHDAY」なんかを女の子に聴かせてあげたりしたらモテるんじゃないかなと思って・・・それが大きな黒人に囲まれていた僕にとっては、大きな希望になりました(笑)

あと、親父がステージでやっていることはよくわからなかったけど、なんだかすごいということだけは子供の時から感じていました。だから、トランペットを頑張って練習したら親父みたいになれるかもしれないとも思っていたのでしょうね。

●高校にはトランペットのコースで入学されていますね。

高校はLa Guardia High School of Music&Art&Performing Artsという音楽学校で、クラッシクのトランペットのコースに入りました。

でも学校の先輩にマーカス・ミラーなど素晴らしいミュージシャン達がいてね。年に一度先輩たちが演奏をする機会があって、そこで僕はマーカスやオーマ・ハキム、ポピー・ブルームの演奏を見ちゃったんです。それがすごくかっこよくて、家に帰ってすぐドラムやピアノに本格的に取り組みはじめました。

それで家に帰ってすぐドラムやピアノに本格的に取り組みはじめました。それとちょうど同じ時期に兄貴が誕生日で、ベースを買ってもらったんです。それを取り合いながら、僕もベースを弾き始めた。トランペットの練習はどんどんしなくなりました(笑)
それと同じ時期に兄貴が誕生日で、ベースを買ってもらったんです。それを取り合いながら、僕もベースを弾き始めた。トランペットの練習はどんどんしなくなりましたね(笑)

●最終的にベースに決めたきっかけはなんだったのですか。

ツアーから帰ってきた親父に言われたんです。

お前がもうトランペットをやる気がないのは分かってる。だけど、お前はドラムを叩いてもトコちゃんにはなれない、ピアノを弾いても、ハービー・ハンコックにはなれない、トランペットは絶対俺にはかなわない。でもこないだ黒人バンドでお前が弾いていたベースはよかった。って。

それで、学校のコースをトランペットからウッドベースとエレキベースに変えてもらいました。


〜プロデビューするまで〜

●プロとして活動されるまでどんな生活を送っていたのですか。

僕は17歳で家を出て一人暮らしを始めました。そして、レストランでウェイトレスやウェイターのヘルプをするバスボーイのバイトをしながら、バンドも4つくらいやっていましたね。
あの頃は、ライブハウス以外にもウォール街やセントラルパークはじめ、いろんなストリートで演奏をしてしました。
そんな感じでやっているうちに、いろんな仕事をもらうようになってね、20歳になる前には、バイトをすべて辞めても食べていけるようになっていました。それがプロとしての始まりですね。

●具体的にどんなバンドで活動されていたのですか。

もちろんジャズもやったけど、とにかくいろんなバンドにいました。ロック、ヒップホップ、レゲェ、ファンク、アフリカン、ラテン・・・なんでもやったね。音楽ならなんでも好きだったし、なんでも興味がありました。

●JINOさんが最も影響を受けたミュージシャンは誰ですか。

僕にとってのヒーローはマーカスともいえるし、ジャコにもすごく影響を受けました。だけどやっぱり親父の影響が一番大きいね。親父は僕にとってスーパースターなんです。すごく尊敬しています。

親父はジャズでトランペットをものすごく追求した人だけど、でもビートルズのアルバムも全部持っていたんですよ。ジミヘンからクラッシュとかポリスとか、ジャズだけではなく、とにかくなんでも聴いていました。

だけど親父は僕に音楽のことをなにも教えてくれなかったし、楽器もなにも買ってくれなかった。誕生日にアンプがほしいっていったら、そんなの自分でお金を貯めて買えって言われたし、ジャズのこのコード教えてっていっても、なにも教えてくれなかった。とにかく自分で勉強しろって事だよね。

それから何年かして、僕も色んな事を経験して音楽の事を少しずつ解ってきた頃に、親父からアルバムを一緒にやろう、ツアーをやろうって誘って貰えるようになったんです。
前に一度、親父にどうしてもっと音楽を教えてくれなかったの?って聞いたことがあるんですが、彼はこう言いましたね。

お前が自分で発見したときの楽しみがなくなってしまう。このスケールってこうやって使うんだって発見したときの楽しみを、俺が教えちゃったら、パッと覚えて、それで当たり前になってしまう。それじゃつまらない。もっと自分で道を探して考えないとだめだよ。って。


〜ジャコ・パストリアスとの日々〜

● ジャコパストリアスと一緒に暮らしていたときの様子を教えてください。

ジャコと一緒に住んだのは、彼が自宅の水道を出しっぱなしにして部屋中を水浸しにしてしまって、大家さんに追い出されちゃったのがきっかけ。
彼との生活は、全部素晴らしい思い出です。あと印象的なのは、寝てる間も彼の指はベースを弾くように動いていました。僕はそれを見てすごいと思いましたね。

●ジャコはどんなミュージシャンでした?
 
彼はドラムもできるし、ピアノもすごくうまい。指が長いから「ド」からオクターブ上の「ファ」まで鍵盤を押さえられるんだ。だからすごいボイシングをする。僕も3つ手があったらこういうボイシングをするのにっていうくらいの(笑)

ライブも本当にすごかった。光輝いているように見えましたね。バンドを止めて、1人で30分ソロをやったり。そういうところでもすごく影響を受けました。

〜日本での活躍〜

● JINOさんから見て、日本のジャズシーンとアメリカでのジャズシーンはどんな風に違いますか。

基本はアメリカも日本も同じです。みんな一生懸命。グルーヴィでかっこいい音楽を追求してる。もちろん、日本にきてすごいなぁと思ったこともあります。日本のジャズミュージシャンはみんな楽譜が読める。ライブによっては、当日に今日はこの曲やるからって楽譜が渡される。少しの時間皆で練習をしてもう本番。そういうところはNYのスタジオミュージシャンくらいレベルが高いと思います。
アメリカではひとつのライブやるのに2、3回は練習しますからね。譜面なんてない。とにかく覚えさせるんです。一度覚えてしまったら外国人は想像力と心でやるんです。彼らにとってジャズは、その時々で反応する会話なんだと思います。
あと、アメリカでジャズセッションをしようってなったら、まず、気持ちのいいテンポのブルージィなジャズをやる。それから、テクニックを駆使したテンポの速いジャズをやるんです。だけど、日本の若い人たちは最初からテクニックに走りがち。だから技術面はすごく高いんだけど、『俺のうまいところ見て見て』って感じになってしまう気がする。外国人はやグルーヴとブラックなジャズをやるんですよね。そこが一番の違いかなと思います


●具体的に日本ではどのような経緯で音楽活動をはじめられたのですか

僕がヨーロッパに住んでいるときに、親父とトコちゃんと菊地雅章さんと川嶋哲郎さんと僕で、日野ファミリーコンサートをやるはずだったんです。でも実際にそのメンバーでできたのは最終日だけ。トコちゃんが癌だったんです。その時は、親父からトコちゃんが忙しいから、お前がNYでドラマーを探して連れて来いと言われ、僕がドラマーを連れてきて3日間ライブをやったんです。
そこで初めて、トコちゃんが癌だってことを知りました。もっと早く教えてくれればとも思いましたが、遠くに住んでいる僕の事を親父が気遣ってくれたんだと思います。
そして、その最後の日だけトコちゃんはお腹に水袋みたいなものをつけたまま病院を脱出してきて、一曲だけ演奏しました。それが一緒にやった最後のステージでしたね。
その時に、スイートベイジルのオーナーが『日野君いいね、日本語は下手だけどここでいつかやりなさい』って言ってくれて。
その後トコちゃんが亡くなってから、僕は一旦ヨーロッパに戻ったんですが、数ヵ月後日本に来たら、本当に3ヶ月間スイートベイジルのステージで演奏させてくれたんです。僕のヨーロッパのバンドやアメリカのバンド、LAのバンドがみんな出演して、面白いことをたくさんやらせてくれた。綾戸智恵さんも出演してくれたり、一週間ずつ交代でゴスペルやラテンやファンクもやったりしましたね。
それがきっかけで、以前より日本に来るようになりました。同じ頃にTOKUや小沼ようすけ、akikoにも会い、気づけば、1年に5回くらい日本に来るようになっていたんです。
そして、2003年にユニバーサルからアルバムを出す話をいただき、色々考えて日本に帰って来る事を決めました。


●今でも海外にはよく行かれるのですか

今でも家族はアメリカにいるし、よく海外にも行くけど、僕自身が日本に慣れてきましたね。やっぱり日本は平和だから。
 日本では、ライブが終わってからもいちいち後ろをみて、拳銃でやられるかもしれないって心配しなくてもいい。僕はアメリカで3、4回くらいそういうことがありました。撃たれなかったし、刺されなかったから本当によかったですけどね。「はい、どうぞ!」って楽器でもお金でもなんでも渡したんです。だから命は大丈夫だった。テロになってから、悪い人たちはお金がなくなって地方に行って、マンハッタンもずいぶん平和になりましたけどね。


〜ジャズの魅力〜

● 幅広いジャンルの音楽を演奏されるJINOさんにとってジャズの魅力とはなんですか

なんの音楽でもフィーリングやバウンスは大事なのだけどジャズは特にそれが大事です。それにジャズって、なんか・・・大人って感じがするよね(笑)紳士じゃないのに紳士に見えるし(笑)
僕が好きなジャズはオーソドックスで、50年時代や60年時代のものが好きですね。ポールチェンバースが好きで、最初に僕がコピーしたのは彼なのです。モダンなものも、聴くのは好きですがコピーして弾きたいとあんまり思いませんでした。
それから、ジャズができれば自然に耳がよくなります。自分が弾きながら、他の演奏をよく聴く必要があるからね。他の演奏に反応できるようになると、音楽がもっともっと楽しくなる。そういう会話的な要素は、ジャズが一番強いと思いますね。


● ミュージシャンのみなさん、お互いに仲良しそうですね。ミュージシャンとしてはライバルなのに。

ライバルって感じたことはないよ。ミュージシャンってみんな素直で正直だから、もっとこうやったほうがいいよとか、ストレートに意見を出し合えるし、演奏がよかったら素直によかったよって言い合える。そういう関係はすごくいいなと思っています。


●8/29サマージャズレヴォリューションに向けての意気込みを教えてください。

たくさんのミュージシャンが出演される貴重なイベントだと思います。最近はジャズをやろうとしている若い人がどんどん少なくなってきているような気がするので、この機会にJ−POPやロックの人にも、ジャズのかっこいい演奏を聴いて貰いたいですね。 そして、少しでも自分の音楽の中にジャズやアドリブの要素を取り入れて、音楽の幅を広げて貰えると嬉しいです。

〜これから〜

● これからJINOさんがやりたいことや、夢があったら教えてください。

もう、うまくなりたいだけですね。もっともっとうまくなりたい。

活動はいろいろやっていますからね。J−POPや他のジャンルでもいろんなアーティストの作曲やアレンジをたくさんしているので。そういう関係で最近はスタジオにこもっていることも多いんだけど、やっぱり僕はライブがないと死んじゃうな。これからも音楽を通して色んな事を学びながら、楽しく演奏していきたいなと思います。

お忙しい中、ありがとうございました。


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