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ジャズ ミュージシャン ( 綾戸智恵 )

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インタビュー: 2008年3月25日


10周年という節目を越えて。
よりディープに、よりソウルフルに。
音楽への情熱を表現するヴォーカリスト!


音楽的に何を目指すかというのは、「何を歌っても、アヤドの音楽」と言うのがゴールだと思っている。歌いたい歌だけを、心を込めて歌う。そして最終的に目指すのは、アヤドミュージックの確立ってことかな

(綾戸智恵)



<デビュー10周年を迎えたことについて>
● 昨年10周年を迎えられましたね。デビュー以降を振り返ってどう思われますか?

いやあ〜、正直よう10年も続いたなあと思うわ。10年間いろいろやってきて、どれ1つとして無駄なものはなかったと思う。私がデビューしたのが40歳の時。結婚離婚もして息子もいるし、英語の歌を歌っているし。そんなに売れるわけないと思っていた。デビューした年の終わり頃に、マネージャーと「10年を目安にしていこうよ」って話していたなあ。
でも、ティーバックみたいにすぐに味が出てぽいと捨てられるのは嫌だから、まあ、ゆっくりやっていけば食えるかあと思っていた。


● 節目の年のアルバム『fifty』ですが、とてもバラエティー溢れる17曲が収められていますね。

まさに好きな曲を並べたという感じかな。「愛の讃歌」は、大好きな美輪明宏さんが、まだ本名の丸山明宏という名前で活動していた頃に聞いて以来、大好きな曲。「グリーンスリーブス」はピアノソロで演奏しているのだけれど、これは私の母に捧げた曲なんや。母はまだ私のことを歌手と認めてくれていないようで(笑)。そういえば、このアルバムをレコーディングしているとき、なんでか気分がのらない日があって。今日はもう帰ろうと思った瞬間に、たまたま電話が来て、母が救急車で病院に運ばれた。以心伝心だったのかなあ?でも母が退院したら、またすぐに録れましたが(笑)。


<ファーストアルバム『フォー・オール・ウィー・ノウ』について>
● 最初のアルバムは98年でしたが、このアルバムはライブ感ありますよね。

この頃はホント喉に問題があって、病院からは、喉は歌わなければ歌わないほど治るって言われていてなあ。1日に数曲分しか歌えないから、テイクは重ねられない。だから一発で決めなきゃ!と集中して、結果スタジオライブらしくなったわけ。キーとかテンポとかを変えて取り直しをしたのは、3割くらいかな?7〜8割がテイクワンだったから。


● 緊張感あふれるレコーディングだったんですね。

それよりも子どもが小っちゃかったから、心配で早く帰りたかった。一緒にやってくれたミュージシャンが偉いって言われたって、どんな偉さかわからへんし(笑)。で、レコーディングの翌日からは、アルフィーと新宿DUGと2日間ライブ。マネージャーは、この2つのライブでレコーディングの経費を出そうとしたんやな(笑)。


● そのときのライブの印象はどうでした?

うーん、あまり覚えてないわ。あ、ライブが始まって3曲目くらいで立ったおっさんがいて、その人がなんかの雑誌の記者やったから、「関係者なんか後ろでええんや、金払ろうてるお客さん、前へどうぞ、前へどうぞ」とライブ中に怒って言ったのは覚えてる(笑)。そのライブが終って、夜行バスで神戸に帰った。夜行バスだと、神戸に朝の6時に着けるから。息子が起きる前に、なるべく実家を空けたことがわからないように帰りたかったの。この頃は、なんせ、神戸にいる家族だけ食わせられればよかったから。


<喉に抱えた爆弾と、ライブとアルバイトの日々>
● デビュー後は、ジャズクラブに多く出演されましたね。

そうそう、ジャズクラブとは色々とあってな。デビュー前やったけど「ドレス着て、一曲一曲ちゃんと曲の説明をして歌うのがジャズ。ズボンはいて大阪弁で喋られたんじゃ、ちょっと」って一度出ただけで断られたこともあった。とにかくあの頃は、服とかメイクには構わなかったからね(笑)。最初のレコーディングのときも、作務衣に草鞋で、蕎麦屋の店員さんみたいな格好だったし。ヘアスタイルも爆発していてね、いわゆるアフロヘアーに近いもんですわ。だって、パーマちりちりにあてといて、しばっときゃお金かかんないじゃない。忙しいんだよ、お母さんだから(笑)。


● 綾戸さんというと、白いシャツというイメージがありますが。

私がステージであまりにもひどいカッコウをしているんで、見るに見かねてある方が衣装を買ってくれたのがきっかけ。私をアニエスbに連れて行って、今のステージ衣装の元になる白のシャツブラウスと黒のパンツを買ってくれた。嬉しかったなあ。何度も着たり洗ったりして黄ばんじゃったけど、今でもその時の衣装は大事に持っているよ。


● その当時の喉の状況はいかがでしたか?

あの当時は、断崖絶壁の中で歌ってた感じやな。タバコの煙を止めてほしいとか、いろいろ無理も言ったし。「そんな。ジャズには酒とタバコはつきものです」みたいに言われて、あー、ジャズで禁煙は無理なんだな、とかね。自分の中でいろんな気になる細かいこともあった。ガンの再発の不安もあったしなあ。


● 実際に手術をされていますよね?

そう。98年の7月に神戸の病院で検査してもらったら、胸にしこりがあった。で、スケジュールを見てもらったら、一週間以上あいている場所は、ここしかない!それで、手術をして一週間後に抜糸。その日に名古屋のラブリーでライブがあったわけや。あれは痛かったなあ。縫ったところがあいたらあかんから、テープを上に貼って歌ったんや(笑)。


● とてもハードスケジュールでしたね。

でもな、次々ライブが入ってくるのは嬉しかったわ。信じられへんことやったからな。こんなに歌うと思ってなかったし。ジャズだけで食べていければいいなあと思っていたからなあ。


● ライブ以外の仕事もしてらっしゃったんですか?

色々とやったわ。歌とピアノ教えたり、学生に英語を教えたり。家族3人が苦労しないで食べていける分は、自分が稼がなきゃと思っていたから。1つずつライブが増えていくと、ようやくアルバイトを減らしていくことができた。マネージャーは声のことを探りながら仕事を入れていったわけなんやけど、こっちは音楽だけで稼げるようにするにはどうすればいいかを探っていた。デビューした年の夏過ぎには、給食のおばさんをやめ、何をやめと、音楽以外の仕事が1つずつ減っていった。


● 給食のおばさんですか!?

そう、レストランの厨房に入って、レシピを書いたりカロリー計算をしたりしていた(笑)。


● デビューした年の終わりには、爆発的に売れていましたよね?

でもな、それでもまだラジオ局とかでグリーン車のチケットとかをもらうと、それを売ってお金を浮かせて、深夜バスで神戸まで帰っていた。息子に弁当食べさせなきゃと思って。どこでポンといつかおしまいになっちゃうかわからない、という不安があるしね。そうなったらまた、就職口捜さなきゃって、その頃はまだ思っていた。とにかく声の問題もあって、歌い続けられるかどうかが心配やった。そういえば、その年の終わりに5日間連続のライブって言うのがあってな。2日間はバンドと一緒だったけど、ちゃんと乗り切れるか不安だった。


● 声はどうでしたか?

最後まで全然声が出てやれたんだよね。なんであんなに声が出なかったのに歌えるのかが不思議だった。歌えば歌うほど、喉が治っていく自分がわからなくって。


<アヤドワールドと「ジャズシンガー」について>
● 綾戸さんの歌の持つ独特の世界観について聞かせていただきたいのですが。

私は、音程は悪いし、歌唱力はないし、リズム感は悪いし。楽典に関しては×なのよ。でもなんか知らないけど、川のせせらぎや、鳥の鳴き声は歌えるぞ、私には「情」があるなと。そんなアヤドワールドが見えてきたのが3枚目のアルバム『ライフ』のあたりかな。


● このアルバム『ライフ』には、ジャズ以外の色んな曲が入っていますね。

そやね。「テネシー・ワルツ」や「夜空ノムコウ」が入ったり。「夜空ノムコウ」は前から好きだった。いい曲だと思ったら私は入れちゃう。決まりはないでしょ?でも、ジャズは枠を作っちゃう。私は枠を作らないから。私はジャズは歌うけど、腹減っている人をお腹いっぱいに、腹減っている部分を埋める音楽を歌おうとずっとやってきた。ジャズだと決めないでね。


● でも綾戸さんは、普通に「ジャズシンガー」と呼ばれていますよね?

本当は、自分自身は、欲しい肩書きは何もなかったの。人がジャズに聴こえたら、嫌でもジャズだというだろうから。マネージャーは、だからこそ「ジャズシンガー」と私につけないと大変になるからとつけた。


● そう呼ばれることについてはどうですか?

まあ、それはそれでよかったかな、とも今では思うの。でもな、ジャズミュージシャンが「あの時代のマイルスがさあ」とか言うのが嫌で。ジャズ好きの人が言うのならいいよ、でも、自分の専門のことをそういうのは好かん。


<テレビへの数々の出演について>
● 色々なテレビ番組にも出演されていますね。

最初の番組の放送が、99年の初春。ドキュメンタリーやった。それまで顔なんかどうでもいいと思っていたけど、そこから顔を出すようになった。「アヤドです」って。バラエティ番組に出るようになったとき、これは私の役割なんだろうかと思うような番組もあったの。


● 出演しながらも、悩んでいらっしゃったんですね。

そんなときに、1つのきっかけがあった。業界の先輩の清水ミチコのアドバイスやったんだけど。「あなたはジャズシンガーなんだから、歌を歌っていたらいい。歌を歌っている限り、どんな番組でどんなコメントをしても、ジャズシンガーの意見を訊いただけなんだから。ただ、コンサートをやめてそれだけをやったら終わりだから。あくまでもジャズシンガーよ」この言葉に勇気付けられてね。その後は、ちょっと合わないなという番組に出ても、嫌味がないように、どうジャズシンガーらしく出られるかと考えるようになった。おばさんキャラを出しながらね(笑)。


<10周年を過ぎて、これから目指していくものとは>
● 綾戸さんは、歌以外にやりたいことはありますか?

あるある。山ほどある。でも今は、やられへんねん。やっぱ歌手やから。やりたいことをやるには、もうちょっとちゃんと歌っておかな。ここで他のことしたら「転職しはった」にはならへんわ。私、やっぱり歌を歌って今日まで来たから、それも一人やなしに、聞きに来てくれはる人と一緒やから。饅頭でもな、30個箱に入っていて、その中の真ん中の1個抜けていたら、なんかいややろ。”詰まったもの”というのが自分の中にアバウトにあんねん。そこまで到達したら、もうひと箱作ることないな、と思えて終われると思う。それがだいたい10年ちょっとやと思うねん。でも、今はそこがまだあやふややねん。ほかにやりたいここというのは、いっぱいあるけど、それをするにはまだ若いなと思うてる。


● 音楽はスポーツと違って、その到達点というのが見えにくいものですよね。

音楽には点数が出ないから。たとえば声が出なければ、出ないなりに良さがある。私たちの世界では、もし球をこぼしても、ああ、そのこぼしたところがいいのよという人がいるけど、スポーツではそれがないからね。そこがスポーツと音楽が違うところ。音楽は、身体を悪くするまでは続けられるよね。あと私の場合は息子がいるので、息子がそろそろ大きくなったらやめるだろうね。「お母さん、もう仕事しなくていいんじゃない」って言われたら(笑)。


<お忙しいところ、どうもありがとうございました>



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