ジャズバー
もりのうた

杜のうた

アクセス 赤坂見附、赤坂
TEL 03-6277-8272

杜のうた Musician

※画像をクリックすると拡大表示されます。
現在のページ : 1/1 Page
 

ピアニスト及びヴォーカリスト 坂の上零
坂の上零(クリスチャン名:Rebecca)

1972年1月25日生 兵庫県出身
作曲家、ジャズピアニスト、ジャズシンガー
NPO真実保全プロジェクト 副理事長
(ある金融システムの特許を発明。政治経済のコメンテイター、物書きでもある異色の音楽家)

3歳の頃より、ピアノで遊び始める。自宅には音楽がたくさんあり、特に、ベートーベンのピアノソナタに感動し、その曲中に、作曲家の想いが生きていることを感じ取る。ショパンなどの交響曲やピアノ曲など、楽譜も読めないうちに、メロディーをピアノで弾きはじめる。

自らピアノを習いたいと思い、5歳でピアノを習い始める。

その時の気分や読んだ物語などのシーンや物語の展開を、即興 で音楽にし、音で表現する遊びに熱中。音で、物語をつむぎだすようになる。

決まり切ったバイエルなどを完了するのは時間を要したものの、独創性を音で表現する遊びには長けていた。クラシックピアノで基礎を習得しながらも、即興でメロディーをつくり、作曲する遊びを続けた。

物心つく頃には、自然とジャズピアノに傾倒してゆく。

中学生の時、ビルエヴァンスの枯葉を聴き、その偉大さに圧倒される。

最初はビルエヴァンスのコピーから始まり、ジャズに没頭してゆく。ジャズ以外でも、クラッシック、世界の民族音楽、宗教音楽、ハードロックを好んで聴き込み、ごく自然にジャズピアニストを目指すようになった。

18歳で上京し、ジャズピアニスト、ジャズシンガーとして両方面でデビュー。

都内のホテ ルのバー、ジャズクラブ、ピアノバー、クラブなどでライブ活動を始める。弾き語りを中心に、LIVE演奏活動を展開。

NYで挑戦したいと試みるが、世界最高峰を目指すも、実力者との差を痛感し挫折。

帰国後、作曲に力を入れ、大手広告代理店のビデオクリップや宣伝、番組、ミニストーリー、ドラマ映像などの音楽の作曲を担当する。

地道な活動で、偶然にも某企業のディレクターに作曲の才能を認められ、大手広告代理店のサウンドディレクター職に就く。

作曲とスタジオでのレコーディングの傍ら、ピアニストとしての演奏活動も、再開する。

20歳の頃、インドのとある財閥令嬢の結婚式に呼ばれ、インドに渡る。

そこで、タージマハルホテル総裁から、演奏出演の依頼を受け、契約。

以来、イ ンドに縁があり、しばらくの間、在住となる。

昼は、インドの大学にて、インド哲学を学び、インド古典音楽のボーカルコースを専攻。インド古典音楽をクマール教授に指示。

日々の大学終業後、スイス大使館、フランス大使館に出向き、自身の作曲活動と練習をする、夜は、ホテルで演奏する日々を送る。

インドの古典音楽を演奏し歌う、日本人歌手として地元メディアに放送され、ラジオ局にも出演する。

インドの政財界、特に、欧州の大使館 外交パーティーにて、ピアニストとして重宝される。

また、作況の才能を買われ、作曲に必要なすべてを整えてもらうなど、欧州国々の政財界有志に支援を受ける。

ある外交パーティーにて事件が起こる・・・・

時同じ頃、貧しさゆえに引き離されたストリートチルドレンの兄弟を、偶然にも世話することに。

更に、チベットから逃げてきたリチャードギアのツアーガイドの男性と知り合い、チベットの惨状を知る。

インドにてチベット救済活動の支援に乗り出すも、ジャズピアニスト、作曲家が政治に口を挟むことは許されなかった。

その後いたたまれない気持ちを持ち、ダライラマのいるダラムサラを単独訪ねる、直接チベット民の体験談を聞き、ともに暮らす中、自分の中で何かが芽生え始め る。

インドでの激しい失意に、インド国内を一人旅し、最後にカルカッタに向かう。

偶然にも、マザーテレサと出会い、その場で呼び止められた。

なぜか、しばらくマザーテレサとともに過ごす。

孤児の家でのボランティアをしながら、少しずつ、ただ、上流階級の人たちのためにだけピアノを弾いて居て良いのかと思うようになり、自身の作曲する音楽で、世界平和に貢献したい!と想う様になる。

マザーテレサに楽曲を作曲する。

全5楽章からなる「交響曲 マザーテレサに捧げる」であるが、その第3楽章に、《マザーテレサが世界へのメッセージを直々に入れ》、第3楽章のみ、欧米でリリースするために、POPS版もつくる。

インド政界のある方に出会い、インド人家庭で暮らす事となる。

「この曲には神がいる」

そう言われ、マザーテレサが、世界で初めて、『自分の名前を曲につかい、楽曲を発表してよい』と言う許可を書面で戴く。

また、マザーテレサ自身のロザリオを坂の上に手渡す。

しかし、在ろう事か、楽曲や坂の上の権利と利権をめぐり、激しい争奪戦があり、残念ながらプロジェクトの中止を決意する。

その後、坂の上は、日本で演奏活動をつづける。

コンサート活動など精力的にこなすも、ある事由で重い精神的ダメージを受け、絶望から、イスラエルに渡る。イスラエルではユダヤ古代史、古代ローマ史、オリエント圏の考古学をエルサレムで学びながら、イスラエルで、出会ったユダヤ人の家に招かれ、そこのユダヤ人家庭で暮らす事となった。

ある日、な ぜか国際金融の業界にスカウトされ、以来、流れに任せ、金融に打ち込み尽力して行く。

金融業の多忙さゆえの中で、ピアノを弾くことはなくなっていった。

その後、初めて、米国にて生命保険金受領権(=Death Bond)を金融商品化させた第一人者であり、

保険金受領権の金融商品化においては米国、英国、日本の3ヶ国において特許を取得することにも成功する。

又、日本最大手の証券会社の代表やその他証券会社の代表、銀行支店長らと共に企業を設立し、代表に就任し、成功を収める。

その金融業の第一線で指揮し、企業を経営しつつも、国際社会における日本の置かれた現状に深い憂いを抱くようになる。

そして、第一次安倍政権後に、自他共に認める国士とされた故中川昭一先生が突然亡くなられてしまう。

その遺志を継ぐために設立された安倍晋三氏と平沼赳夫氏が共同代表を務める「創生日本」その他の政治勉強会に民間人から選ばれ参加するようになり、徐々に政治の世界へ入ってゆく。

自ら、2014年6月「日本と皇室の伝統文化をお守りする会」(通称、まもる会)を立ち上げ、現在2000名 からの志し高い有志が集まる政治団体となり、保守系政治家のサポートや、各種法案化の提案事業をしている。

その傍ら、金融と政治にかけた十数年の時を経て、ジャズピアニスト、作曲家、ジャズシンガーとして復帰することになった。

今後は、自身の作曲したオリジナルの世界を追求したいと言う。異色のジャズピアニストである。

ピアノ:井上ゆかり
大阪芸術大学演奏学科ピアノコースに特待生として入学。
同大学卒業後上京し、アン・ミュージック・スクールにて、ジャズピアノを鈴木“コルゲン”宏昌氏に師事。

在学中よりジャズピアニストとして演奏活動を開始し、ライブスポットを中心に出演を重ね、数多くのミュージシャンと共演。
ジャズライブを中心に、年間250本以上の演奏活動中。

またジャズ以外の音楽活動も幅広く、2000年より始まったNHK-BSの音楽番組「素晴らしき音楽仲間」にレギュラーピアニストとして出演。2006年までの6年間、前田憲男、羽田健太郎、加藤登紀子、北村英治、岩崎宏美、都はるみなど、延べ300組の多彩なゲストとジャンルの枠を超えて共演。

2003年、オリジナル曲中心のファーストアルバム「Pianin」をリリース。
2006年、ベースの加藤真一・ドラムスの藤井摂とともに、自身初のピアノトリオ<井上ゆかりトリオ>を結成し、 2007年、メジャーデビューアルバム「Hands On Universe」をリリース。

2007年からはピアノソロでのコンサートも開始。

2009年4月、DVD映像作品「不朽神話2」へオリジナルの楽曲を提供。
同年7月、「不朽神話2」サウンドトラック版の「One life, One Way」をリリース。

2009年9月、ボーカルの村瀬由衣の「Day By Day」のアレンジャーおよびピアニストとして、アルバムリリースの中心を担う。

2010年12月、<井上ゆかりトリオ>のセカンドアルバム「MURASAKI」をリリース。

フルート:井上信平
1957 年 10 月 18 日生まれ。A 型。東京芸術大学附属高校卒業後、アメリカへ留学。ボストンのバークリー音楽院、ニューヨーク・マネス音楽院に学び、卒業後ニューヨークにて活動を開始。著名なジャズクラブやアメリカ各地のジャズフェスティバル、レコーディングプロジェクト等で演奏を重ね、90 年カーネギーコンサート、91 年全米で CD をリリースするなど着実に活動の場を広げる。

91 年より定期的に日本に戻り、全国コンサート、ライブ、スタジオミュージシャンとして、 CM ・ドラマなど幅広いジャンルで活躍。 94 年よりソウルを始め東南アジアにも活動の範囲を広げる。

97 年にはジャズと邦楽を融合させた CD 『中村喜春&小唄メッセンジャーズ』 をプロデュース。 98 年にはクラウンレコードより『スケッチブック』をリリースし大きな話題を呼ぶ。



2000 年には ROLAND 主催でプロディースも兼ねた 4 都市ツアーや小野リサ全国ツアー、小柳ゆき、織田裕二、ゴンチチなどとのレコーディング等で、アレンジャー・プロデューサーとしても注目を浴び高い評価を得た。年末にはごきげんな JAZZ アルバム『 First Take 』がリリースされた。

そして、2001 年には、世界的なフルートの巨匠 HERBIE MANN (ハービーマン)との共演を実現させた『スケッチブック 』が 8 月にリリースされた。

現在、気の合った仲間との しんぺいバンド を中心に、その他国内外を問わず多くのコンボに参加。国内及びニューヨークなどの LIVE ハウスで精力的な活動を続けている。
http://www.shimpei-musicworld.com/

現在のページ : 1/1 Page  


杜のうた
03-6277-8272
※お問い合わせの際は「@ジャズ」を見たとお伝えになるとスムーズです。

@ジャズHOME
ジャズライブハウストップ
ジャズライブハウス港区